木曜日, 11月 09, 2006

変貌する中国の司法…最新中国裁判事情…

1.はじめに
  平成18年7月30日から8月4日まで、名古屋大学法学部の宇田川助教授(中国法担当)と、中国の上海、順徳、香港を視察し、中国の法曹関係者や、中国に進出している日本企業の関係者と面談する機会を得た。今回の視察の目的は、中国において法律が公正に適用されているのか、中国の裁判は信頼することができるのか、中国に進出した日本企業がトラブルに巻き込まれた場合、どのようにすれば公正に紛争を解決できるのかを調査し、研究するというものであった。まさに、変貌する中国、進化する中国の実情を目の当たりにして、大いに驚くと共に、感ずるものがあった。我々が垣間見た中国の光と陰について、報告したい(以下の報告については、宇田川助教授から多くの示唆を頂いた。)。

2.「我々は、今は一番ではないが、日々進歩している」
(→中央左、白ワイシャツ姿が徐川裁判官)
  上海市高等人民法院で民事裁判を担当する徐川裁判長は、にこやかに、そして自信を持って答えた。中国の裁判は、法律が公正に適用されるのではなく、コネとか情実など人間関係が強く影響するのではないか、と私が質問した時のことだ。
「確かに以前の中国にはそういうこともあった。しかし、今は政府が多くの法律を次々と制定し、我々裁判官は、その法律を公正に適用している。万が一、不公正な処理をした時には、裁判官を監督する監察庁に苦情を申し立てることができる。我々は昨日までの我々ではない。確かに、今の中国の裁判制度に問題がないわけではない。しかし、少しでも進歩させようと努力を続けている。我々は、今は一番ではないが、日々進歩している。中国が人治の社会などという話は過去のことだ。今は法治の社会になっている。」
徐川裁判長は、物腰も柔らか。私の失礼な質問にも、にこやかに丁寧に適確に答えてくれた。
 中国の裁判官は共産党の意向でどのようにもなるお役人ではないか、という私の予想は完全に外れてしまった。誠実で温厚な人柄。有能な実務家が目の前にいる。
  実は、私が中国の裁判官に抱いたイメージは、決して良いものではなかった。それは、次のような事情を知っていたからだ。

3.文盲もいた中国の裁判官
  中国の裁判官は、以前は、能力にかなりの問題があった。裁判官になるために、法律の専門知識が要求されていなかったからだ。
  ここに、信じられないような、驚くべきデータがある。最高人民法院が、1983年に四川省において実施した調査によれば、四川省内の裁判官の中で、小学校以下の学歴の者が15%を占め、その内には相当数の文盲、半文盲の者がいたというのだ。法律の専門知識がないどころか、文盲の者でも裁判官が務まるというのは、どういうことなのだろうか。ここに、中国における「裁判」の意味を考える重要な鍵がある。
  日本においては、裁判官は、高度の教育を受け、法律の専門知識と高い事務能力を持つことが要求される。複雑・難解な当事者の言い分を整理し、争いのある事実を認定し、これに法律を適用して、公平妥当な結論(判決)を導き、紛争を適格に解決するためには、当然と言って良いだろう。これに対し、中国では、裁判官の主な役割は、刑事裁判にあった。刑事裁判を審理し、社会治安を維持する役割が、裁判官に期待されていたのだ。したがって、裁判官には、法律の専門知識より、中国の社会秩序を維持する政治的傾向が重要視されていたのだ。実際にも、軍隊や行政機関からの転出組が、裁判官の多くを占めていたと言われている。したがって、以前の中国においては、裁判官の質は低く、裁判も不公正なものがあったと思われる。
  中国で全国統一の司法試験が実施されたのは、1995年12月であり、それ以前は、裁判官の資格や能力について「空白」の状態にあったと言ってよいだろう。
  このような状態は、改革開放政策が実施されて以降、一変した。法律や法規が数多く制定されるのに伴い、裁判官に法的専門知識が要求されるようになったことや、裁判官の役割が、刑事事件の裁判から当事者間の紛争を法的に処理する公正中立なアンパイアへと変化することになったためである。また、1995年には裁判官法が制定され、裁判官になるための資格が、法学部を卒業していることや法律の専門知識を有することなど、具体的に明記されることにもなった。最近になって、やっと、裁判官に相応しい能力を持つ者が選任されるようになったと言ってよい。しかしながら、1995年以前に選任された裁判官は、解任されることなく、今もなお、裁判を担当している。1997年末の時点で、中国の裁判官の学歴は、大学学部卒業者は5.6%、大学院卒業者は0.25%にすぎない。中国の裁判官のレベルは、全般的には、まだまだ高いとは言えないようだ。
  徐川裁判官は、大都会、上海の裁判官であり、日本の高等裁判所に相当する高等人民法院の、しかも、民事裁判を担当する裁判官である。エリート裁判官の一人であることは間違いないだろう。都会の上級審の裁判官であれば、専門知識の十分ある、事務処理能力も高い、有能な裁判官に公正に審理してもらうことが、十分可能であろう。
  他方、地方では、まだまだ裁判官の能力は低いと考えざるを得ないだろう。中国の地方に進出した日本企業にとって、中国の裁判所、中国の裁判官は、不安要因の一つであることは間違いない。次回は、都会ではなく、地方、特に西部地区の貧困県の実情を調査してみる必要があるだろう。

4.中国に裁判官の独立はない
  今の中国に三権分立はない。日本のように、国会、内閣、裁判所が立法権、行政権、司法権を持ち、他の機関の行動をチェックする制度になっていない。人民の代表からなる全国人民代表大会が最高国家権力機関とされており、司法の独立や裁判官の独立は存在しない。

(↑中国の刑事法廷。左側のボードはインターネット画面を表示する。)
  裁判所に対する監督機関として裁判官委員会があり、法律の解釈について疑義がある時は、裁判官は裁判委員会に指導を仰がなければならない。しかも、裁判委員会の指示は裁判官を拘束し、裁判官は裁判委員会の指導に従わねばならない。また、担当裁判官は、院長、廷長などに指示を求め、その回答を得て、判決を下すことになる。
  三権分立は当たり前、裁判官の独立は当然といった文化に馴れ親しんだ我々からみると、極めて異常だ。これで公正な裁判などできるのか甚だ心許ない。しかし、これも社会主義国家の中国の一面の真実なのだ。
  今の中国では、2001年12月のWTO加盟により、各省庁が、次から次へと法律や規則、通達を制定している。日本以上の縦割り行政の中国では、省庁間の調整や法令間の統一性を考えることなく、次々に法令が制定されるので、法令間の矛盾や解釈面の疑義が多い。また、中央と地方との法規の統一性もとれていない。いきおい、裁判官が、法律の解釈について、裁判委員会や院長・廷長の指導を仰ぐことも多くなる。裁判官が中国共産党の枠組みから解放されることのない限界が、ここにある。
  8月末に視察した台湾では、台湾大学(日本の東京大学に相当する)法学部出身の者が政治家や裁判官になり、台湾社会の改革をリードしているという。台湾の司法改革も、台湾大学法学部教授だった翁岳生司法院院長と、台湾大学法学部を卒業した裁判官たちが中心となって推進されている。エリートが社会をリードする台湾と、共産党が社会を指導する中国と、この対比は実に興味深い。

5.裁判官とのコネを使う
  「当たり前のことだ。有能な弁護士なら、裁判官とのコネを持っていなければならない。」上海の辣腕弁護士(律師)は、こう言い切った。
  「中国の裁判官の資格は厳しくなり、質も向上している。倫理面も厳しくなり、裁判官に賄賂が通用する社会ではなくなった。」裁判所や進出した日本企業で、何回となく聞いた言葉だ。しかし、中国の有名な弁護士(律師)は、今でも裁判官との個人的なコネ、情実が裁判を左右するというのだ。しかし、さすがに、白を黒とする(明らかに敗ける事件を勝たせる)ことまでは出来ないという。白か黒か判然としない、勝ち敗けが微妙な事案では、裁判官に働きかけることが有効なのだという。確かに、裁判は証拠次第だ。そして、証拠の評価も裁判官次第である。こちらに有利な証拠を過大に評価し、こちらに不利な証拠は過小に評価してくれれば、結論(判決)も違ってくるだろう。ましてや、どちらに転ぶとも分からないような微妙な事案では、証拠を評価する裁判官のサジ加減1つに掛かっている。
  日本においても、裁判の道理は同じだ。我々日本の弁護士も、様々な方法で裁判官を説得する。我々との違いは、日本の弁護士は、法廷の中で、法律と論理を使って裁判官を説得するのに対し、中国の弁護士は、法定の外で、個人的な情実を使って、裁判官に働きかけることだ。出身地、出身大学、そして、日常的な付き合い。中国では、有能な弁護士は、こうした情実(コネ)を幾つも持っている弁護士だという。しかし、これでは、裁判の、そして弁護士に対する信頼を根本から覆してしまう自殺行為ではないのか。目的(勝訴)のためには手段を選ばない、法匪と同じではないだろうか。
  日本企業も、中国の有能な弁護士(律師)を求めている。コンプライアンス(法令遵守)が当たり前の日本企業にとって、この考え方の違いは大きい。日本企業の理念や考え方を十分理解し、日本企業のために最善を尽くしてくれる弁護士(律師)を探すことが中国で如何に難しいか。勝てる弁護士は必要だ。しかし、勝ち方がよく分かっている(時には敗け方もよく分かっている)、フェアで信頼できる弁護士はもっと必要だ。外国で、このような弁護士をどのように探せばよいのか。外国に進出する日本企業の法務部や顧問弁護士にとっての、最大の難問の1つであると言ってよい。
以上
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